自身の感情の観察の仕方

そして、目的意識をしっかりと持ったコメントの書き方

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あなたが「コメントを書く」という行動を起こす際は何らかの衝動が感情の中で沸き起こったからこそコメントを書き込むのだろう。しかし、コメントを書き込む際「何が目的でコメントを書くのか?」と自身に問うているだろうか??

当然ながら多くの方々は「何が目的でコメントを書くのか?」と自身に問いかけながらコメントの書込み等行なわないだろう。当然わたくしも多くにおいてはそんな事を問う事も無くコメントを書き込んでいる。それは多くの場合においてはそんな事を考えなくても文面の組み立て、構築が出来るぐらい誰もが「冷静」だからだ。

しかし、自身の中にある価値観や経験に基づいた記憶に引っかかって来る様な内容が目の前にあった時はどうなるだろう??平たく言うと自身の感情という静かな水面を掻き乱す様な文面が目の前にあったらどうだろう??水面が荒々しくなり抑えが利かない状態、つまり脳が冷静さを失った場合はどうだろう??あなたは冷静に文面の組み立て、構築が行なえるだろうか??適切な言語を屈指して先方に的確に「何が目的でコメントを書くのか?」を踏まえながらメッセージを伝える事が出来るのだろうか??

昨夜
retroさんが運営されているRetro@Diary Rev.B〜が閉鎖された。原因はAppleのサポート体制に対する疑問を投げかけた記事のコメント欄が炎上したらしい。その数時間前、本当に久々のハンドルネームをこのBlogのコメント欄で目にしてわたくしはここ最近無かったほどの嬉しい感情を味わっていた。しかし、その数時間後にその感情全てが泡の様に消えてしまった。

今日とある方とこの件に関してメールのやり取りをした。その方はわたくしと同じ事を考えておられたらしくこういった事を送って来られた。

コメントを書いた本人はその記事の「真意」を理解しようともせずに攻撃的なコメントを行ない、その結果ブログのコメント欄の炎上を楽しむことを目的としているのでは無い。そして、当の本人は「悪いことをしている」という自覚は無い。

(送って来られた内容を抜き出し文面の意図は変えずにこちらで再編集を行なった。送って頂いたご本人に対しては失礼をお許し頂きたい)

正しくその通りだと思う。わたくしも全くの同意見だ。もしかすると中には悪意を持ってコメントを書き込む人物もいるだろう。しかし、そういった人物は犯罪まがいの何物でも無い、論外だ。だが、先述に書かれている通り最も怖いのはブログの炎上を目的とせず「当の本人は悪行の自覚が無く、その結果が悪行になった」という場合だ。

先述の通り恐らく当の本人は自身の中にある愛情を向けた対象が汚された、土足で踏みにじられた、といった「感情」の反応で動いてしまったのだろう。

(ここからはわたくしの経験から書いている部分もあるのでそのつもりで読んで頂きたい)
この「感情」というものは良い部分もあれば悪い部分もあって良い部分で働いている場合は本人のモチベーション(意欲)を高め日頃以上に異常なほどの高い結果を産み出す事が可能になる場合がある。しかし、悪い部分で働いてしまった場合は「怒り」に感情を支配されたり「悲しみ」に支配されてしまいモチベーションが極端に低下する場合がある。良い場合も悪い場合も共通しているのは「脳(理性)のコントロールが利かなくなる」場合があるという事だ。(ちなみに悲しみに支配される度合いが強かったり、その時間が長期間に及ぶと鬱になる場合がある)

そう、つまりパソコンで例えると暴走した状態になっているのかもしれないのだ。この
Blogを読んで頂いている方は多くがパソコンを通して読んで頂いている事と思う。その様な方ならご理解頂けるはずだ。つまりパソコンが暴走している時には「正常な利用が出来ない」ことを。

人間は昔から「感情」というものに魅了されて来た。物語の中心にあるのは常に登場人物の心象。つまり登場人物から湧き出て来る感情だ。なぜ感情に魅了されるのか??なぜ感情を重要視するのか??それは自身の中にも常に持ち合せているから自身が持ち合せている感情に近いと共感しやすいのだ。

洗面所でもキッチンのシンクでも良い、そこに水を張った状態を想像して欲しい。そして、その水面はとてもとても静かで一つの波さえ立てていない状態だ。その水面に人差し指で軽く触れてみて欲しい。触れた瞬間どうなるだろう??小さな小さな波が円状に時間と共に大きく広がって行かなかっただろうか??次は手で軽くかき混ぜるなりしてみても良いかもしれない。そうすると今度は小さな小さな波どころか水はぐちゃぐちゃの形に変化するだろう。しかし、暫く時間が経過すると元の静かな水面に戻って行くはずだ。そして、そこに張ってあるのは「水」だという事に変わりはない。

つまり感情とは水面に現れる小さな波やぐちゃぐちゃに変形した荒波なのだ。人間も同じ。常に何らかのアクションが周囲で起これば水面の様に反応し感情が「湧き出て来る」。これは本人が望んでいなくとも「必ず」湧き出て来る。つまり多くの人間が非常に魅了され続け、重要で大切で、「感情豊かに育って欲しい」と両親に言わしめてしまうぐらい影響の大きなものだと思っていたあの「感情」が、ただの連鎖反応、つまり人間の脳を構成している意識、本能と理性の「オマケ」にしか過ぎないということだ。一番重要なのは人間を構成している本能と理性が産み出す「生きる」という目的と行動なのである。

長々となってしまったが、つまり自身の「価値観に合わない意見」が書かれた記事を見て怒りの感情が湧き出て来てもコントロールを失う事無く冷静な状態に立ち返る努力をしなさい。と言いたいのだ。怒りの感情に支配されたあなたはただ単に脳がこれまでの人生経験の記憶から連鎖反応ではじき出した感情に振り回されているだけなのだ。

もし、冷静に立ち返っても改めて何かを訴えたいのならこれを忘れないで欲しい。自分が「何が目的でコメントを書くのか?」ということを。当然目的があるのなら動機があるはずだ。その動機は何なのか??彼女に対する愛なのか??彼に対する愛か??家にいる猫に対する愛か??妻に対する愛か??そして、そこから出て来る目的は何だ??とにかく自身が語ろうとしている内容をよくよく観察することだ。

動機

目的

手段

結果

というプロセスが発生しなければ、その行動は無に帰すだけだ。えっっ!?
Appleのことをあまり良く書いていないい記事を見たって!?わたしはAppleを愛しているって!?っで、Appleに対する愛情に関して語りたいって!?ならば...

動機
Appleを愛している

目的
Appleに対する愛情に関して語りたい

手段
Appleに対する愛情を表現した言語を書き記す

結果
それを読んだ相手が何かするかもしれないし、しないかもしれない

つまり「わたしは
Appleを愛している。だが、あなたの書かれていることはわたしのこれまでの人生では経験したことが無いし、なによりわたしの様に Appleを愛している様にはこの文脈からは感じられない。あなたはわたしの様にAppleを愛しているのですか?どうなんですか?」と書けば単純に質疑応答になりコミュニケーションが成立することになる。脳が「冷静な状態」ならばこのぐらいの文面の構築は多くの方々が出来ることだろう。

しかし、勘違いしてはいけないのは

動機
Appleを愛している

目的
Appleに対する愛情に関して語りたい

手段
Appleに対する愛情を元にして「怒り」を表現した言語を書き記す

結果
相手を精神的にも肉体的にも傷つける

先述の様に「怒り」に感情が支配されてしまうとプロセスを正常にこなせなくなってしまう場合が多い。そして、その様になった場合多くにおいて「手段」を誤ることになる。本当は愛していることについて表現したかったのに、もしかしたら相手も同じ様に愛しているのかもしれないのに
...ただその相手は自分とは「違う側面」から物事を見ていただけ...根本にある本質は一緒で互いに「共感」出来たかもしれないのに...あなたはただ単に「手段」を誤っただけなのだ。

しかし、その結果として、その先にいる出会ったことも無い、どんな人生を歩んだのかも知らない、もしかすると自分と似た様な生い立ちを持った共感出来る人物なのかもしれない
...そして、その相手をただ単なる連鎖反応に支配されて精神も肉体も痛めつけてしまったかもしれない、もしかして一生その相手とコミュニケーションが取れないかもしれない、もしかするとその出会いはとてつもないぐらいあなたにとって大きくて重要な出会いになった可能性があるのかもしれないのに、その可能性も無くなってしまった...

人生は常に可能性に満ちていて、そして無限大だ。そんな中でたかがその瞬間に沸き起こっただけの感情がそれほどまでに重要なのだろうか??そんなことより様々な価値観で生きている人々と出会い、自らの価値観を広げ可能性を高めることの方が重要で大切なはずだ。そして、何より様々な価値観で生きている人々が存在しているということを素直に受け入れ、認めることはとても大切なことだ。

あなたがコメントを書き込むということはその先にいる相手とコミュニケーションを取るということだ。ならばそのコミュニケーションは前向きで建設的であり可能性に満ちている方がステキじゃないか。あなたがコメントを書き込む時に、もし怒りに支配されているのならその反応はただ単なる連鎖反応だということを思い出して冷静になって欲しい。もし一時的な感情に身を任せてその相手を精神も肉体も傷つけてしまった時、あなたは一体どうすればそれを償えるというのだろうか。そして、何より場合によってはそのコミュニケーションに参加することがあなたにとって良いことなのかどうかもよく考えることだ。

記事を書いている方々へ。
Blogを運営されている方は誹謗中傷を書き込まれたら、そのコメントを無視するか、削除するなどの行動を考えられた方が良いのかもしれない。あまりにも悪質な場合は法的な手段も検討されることをお薦めする。とにかく書く側も、読む側もコミュニケーションの方法について具体的に考えておかなければいけないのは確かだ。そして、いつ何時自身も炎上させる側に回りかねないことも忘れないことだ。もうこんな事は何度も起きないで欲しい。

最後に念のために書いておきたいのだが、わたくしは「感情」というものを低く見ている訳でもないし、バカにしている訳でもない。多くのアーティストはその瞬間、瞬間に湧き出た感情を表現することで作品を創り上げる。それはとても素晴らしくて深遠なことだ。そして、わたくしも感情があるからこそ妻と出会えたのだから。

'07.11.16追記
愛情の裏返しは憎しみ、とよく言われているが人間の脳の反応を中心にして考えるとこれは違う。

愛情と憎しみは同義語もしくは隣り合わせ、その裏返しは無関心

となる。

ちなみによく企業で言われる結果が全てという言葉。多くの場合においては成功を想定して語られていると思う。成功の裏返しは失敗、と
...しかし、これも先ほどと同じく

成功と失敗は同義語もしくは隣り合わせ、その裏返しは無行動

となる。今度会社で「なぜ結果が出ないんだ!!」と言われたら冷静にこう言ってみると良いかもしれない「プロセスをしっかりと踏んだことで素晴らしいことに結果は出ています。あのプランでは失敗するという結果が
...」失敗は明日の成功の素というのはウソではない(笑)。

'07.11.16追記
今回の様なことが続けば今後健全なMacコミュニティーの形成は難しくなる可能性を秘めている。これを目撃した人々は今後自身がMacコミュニティーに参加して情報を発信して行こうという気になるのだろうか??

インターネット社会は現実社会で生まれた不満の掃き溜めと思われて良いのだろうか??インターネットが生まれたことによって時間とコストが大幅に削減された。そして、最もその効果を上げたのが「コミュニケーション」だ。

目の前の価値観の合わない、理解出来ない出来事に感情を露にする様な短絡的な行動に時間を費やすのではなくもっと建設的な考えを持つ様に心がけて欲しい。そして、建設的にインターネット社会に関わって欲しい。そうすればインターネット社会が崩壊する様な危険性は薄れて大いなる可能性を秘めたものになって行くだろう。

これは個人だけでなく企業や集団においても同じだ。特に企業は利益の為に活動しているが目先の利益の為だけに行動しないことだ。時間をかけて消費者にとっても利益となるものを提供し双方にとって幸せに繋がる活動を行って欲しい。そうすればおのずとも利益は必ずついて来る。利益は単なる結果だと割り切って欲しい。

もしあなたの上司がビジョンを語らず利益の事ばかりしか口にしないのなら自身が幸せになれる仕事を探した方が良い。そういった企業に人材が集まっているのもおかしい話だからだ。

話が少し広がり過ぎてしまったかもしれない。しかし、この世で起こった出来事は全て因果関係で繋がっている。現実社会での皺寄せは必ず別の場所で噴出する、それはあなたの会社の給湯室かもしれないし、廊下かもしれないし、駅前の飲み屋なのかもしれない、もしかするとインターネットなのかも...そしてコミュニケーションクラッシャーであるゴシップが広がり崩壊が始まる...「風が吹けば桶屋が儲かる」正しく世に起こる因果関係を表している。もしかすると最初に手をつけるべきはこの世に生きる人々全ての幸せな生き方なのかもしれない。

参考リンク

林齧-人間だもの

池田信夫 blog-はてなに集まるネットイナゴ

wikipedia-炎上(ブログ)

wikipedia-ネットイナゴ

GiGAZiNE-ネットコミュニティが崩壊するとき

当Blog-自由


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