Apple Accent出演とその解説-前編-

副題 Apple Accentにお呼ばれして -前編-

Apple-Accent_01.jpg

(写真はApple Accentより拝借)

既にご存知の方もおられるだろう。わたくし、何故かApple Accentのゲストとしてお呼ばれすることとなった(笑)。しかも、栄えあるゲスト第一号を賜ったのである(ビックリ)。この場をお借りしてこの様な素晴らしい機会を与えて下さったJackさん、Bittenさん、RDPさんのお三方には心より感謝致します(多々感謝)。

と、ここまでの流れを読んでいるとさも素晴らしい落ち着いた展開のアダルトな会話を思いめぐらせることだろうが、実は蓋の中身は全く正反対である...落ち着くどころか大爆笑の連続のゲスト出演となった(汗)。いやはや、わたくしの発言で、もしお聞き苦しい部分がありましたらこの場をお借りしてお詫び致します(冷汗)。収録時はかなり大盛り上がりで頭に血が上った状態の収録だったのだ(大脂汗)...

さてはて、当然わたくしは頭に血が上っていたものだから冷静に聞き返してみると間違っている部分や十分な説明も無いまま話に突入している部分が多々見受けられた(冷汗)...というわけでその部分をこの記事で補完して行きたい。

■チャプター”ベーマガのApple IIc”
「資料を集めていた」と話しているが、当時はSharpのX1が好きでそのカタログを中心に集めていたのを思い起こす。それ以外にもNECのPC-6601PC-6001mkIIPC-8801mkIIのカタログなども集めていた(笑)。

Basic-Magazin_8410.jpg

(写真はベーマガことマイコンBasicマガジン。SASAJIe's HOMEより拝借)
X1.jpg

(写真はMuseum/Cataloguesより拝借)

「パソコン雑誌ログイン」の話が出た部分でゲームセンターあらしのパロディと紹介している漫画があるが、それは「ゲームセンターいがらし」(作者スタパ齋藤)のことである。ちなみにこの漫画、ログインで連載していたのかどうか自信が無い...どうやら別の4コマ漫画「べーしっ君」と記憶がゴチャマゼになってしまっている様だ(汗&笑)。ゲーセンは恐らく「べーしっ君」から出たのかもしれない。でもこれもうろ覚え...あと年代から推測して「ラリーX」は古すぎるかもしれない(冷汗)...(あとで調べてみるとラリーXはやはり1980年登場と古かった[汗]...)

Login_198408_300.jpg

(写真はtamazo.comより拝借)
rally-x.jpg

(写真はナムコ(現バンダイナムコゲームス)のラリーX。Xbox Live Arcade Wednesdaysより拝借)

■チャプター”Apple IIcのカタログ”
わたくしが初めてAppleを知ったことについて話している。収録では「13歳か14歳」と話していたが改めて実際思い起こしてみると「12歳か13歳」だった(笑)。”Apple Express 001”自体が85年に発刊されたものなので、早くとも84年の年末ぐらいにカタログ資料請求して翌年の1月の終わりから2月ぐらいに手元に到着したのだろう(もし思い違いだったらお許しを[汗])。当時は今ほどカタログ資料が素早く届くことは無かったからだ(大体早くても二週間、遅い時は一ヶ月以上かかった)。

Apple Express 001_001.jpg

Steve jobs&Steve Wozniak_02.jpg

(番組内では「外人のおっさん」と表現してしまった二人のSteve(汗&笑)。ここには1985年当時から正しく”Think different”なAppleの紹介が書かれている。写真はキャノン販売(株)(現キヤノンマーケティングジャパン(株))発行Apple Express 001より掲載)

■チャプター”Macintosh 128k”
「当時ウィンドウによる表示が理解出来なかった...」と話しているが、多くの方々が既にご存知の通り、当時のパソコンのOSはCUI(キャラクターユーザインターフェース)が主流だった。そこに登場したMacintoshのGUIとマウスはわたくしにとってどの様な操作性を産み出してくれるのかが全く理解出来なかった。それは当たり前だろう...それまで殆ど存在していなかったのだから...

SP-5030.GIF.gif

(CUIの画面。写真はSharpのBASIC SP-5030。PC温故知新より拝借)
Mac_System_1.0.jpg

(コンシューマ向け製品としては初めてのGUI搭載パソコンMacintosh 128kに搭載されていたMacintosh System Softwere)

さらにMacintosh 128kにはキーボードが含まれていなかった。その裏には「GUIはマウスだけで操作が可能である」という理解を促進させる意図があったらしい。ちなみについ9年ほど前までMacintoshのキーボードはPerformaといったコンシューマ向け以外はキーボードがオプションだった。プロシューマ向け製品にキーボードが同梱される様になったのは1999年1月発表のPowerMacintosh G3(Blue&White)以降だ。

macintosh-128k.jpg

(写真はMacintosh 128k。CED Magicより拝借)

ファミリーベーシックとはファミコン用の周辺機器のこと。1984年6月21日発売のキーボードとROMカセットがセットになった製品で価格はファミコンと同じ¥14800。キーボード、ROMカセットをファミコンに接続し、専用に開発されたBasic(プログラミング言語)でオリジナルゲームを制作することが出来た。当時遊ぶ魂胆が丸見えだったわたくしには買い与えてもらえることは無かった(涙)...ちなみにファミコンに利用されているCPUはApple IIに搭載されていた”6502”をカスタマイズしたリコー製”RP2A03”だった

Family-basic.jpg

(写真は魔法使いの森より拝借)

収録後に思い出したのだがパソコンに興味を持たなくなった原因は当時夢中になっていたモデルラジコンだった。当時は空前のラジコンブームで世間では大量のモデルラジコンが飛ぶ様に売れていた。

wild willys.jpg

(写真はワイルドウイリー2クラブより拝借)

■チャプター”カタログを集めた理由”
Appleユーザの熱さについて語っているが、もうひとつはカタログ冊子”Apple Express 001”のデザインの美しさも理由だった。

■チャプター”Macintosh Performa 550”
Windows 95が登場したのは1995年の11月23日(米国では8月25日)。当時Windows 95はパソコンユーザ以外も巻き込んだ社会現象と化していた。それは発売直後パソコンを持っていないにも関わらずWindows 95のOSパッケージだけを意味も分からず購入するという人物がいたほどだった。



■チャプター”初Macを購入”
Mac用のMIDIシーケンサーOpcode社Visionは本当に使いやすいアプリケーションだった。Macではデファクトスタンダードであった MIDIドライバーOMS(Open Music System)を開発した企業でもある。1999年に開発がストップし泣く泣く当時Steinberg社のCubaseに優待で移行することになったが既にVisionの操作性になれてしまっていた為に作曲が思う様に進まなくなったのを覚えている。

vision.jpg

(写真はcassielより拝借)

現在はLogicを利用しているがこれもVisionほどの扱いやすさではない。しかし、GarageBandの登場でVisionに似たその操作性に喜びを噛み締めたのはここ最近の事だ。ちなみにOpcode の従業員の幾人かはAppleに移籍して”Core Audio”の開発にあたっているらしい。

Performa 550とシンセサイザー購入の予算を10万円と話しているが、よくよく思い起こしてみると10万円はPerforma 550単体の予算だったのを思い出した(汗&笑)。

1995年当時のパソコンにOSのインストールが禁止されていたことについて語っているが、当時はOSの著作権の関係で再販業者がOSを再インストールした状態で販売することが許可されていなかった。わたくしのうろ覚えな記憶では翌年には中古モデルでのOSの再インストール販売が許可されていたと思われる。

■チャプター”漢字Talk7.5.1”
漢字Talkの再インストールに関しては当時パソコンの知識が全く無かったにも関わらず「よく出来た...」と今でも思う。もしこれが当時の Windows 3.1だったらわたくしには恐らく再インストールは出来なかったことだろう...それだけMacintoshは当時から簡単だった。ちなみに番組中 Performa 550に搭載されていたOSを漢字Talk7.5.1と言っているが、これは漢字Talk7.1.2の間違い(冷汗)。

system-7.jpg

(写真はsystem 7stocksy.co.ukより拝借)

あと、インストール用フロッピーの枚数も7 枚ではなく10枚前後だったかもしれない(汗)...しかし、当時は緊急起動用OSがフロッピー1枚に収まっていたとは今では信じられない(シミジミ)...(番組中Windows 3.1に関して発言しているが、これは当時のWindows 3.1の利用背景が現在と異なっていた為であり、MacとWindowsどちらが優れているか、という表現は適切ではないし、その意図は全く無い)

■チャプター”PHANTASMAGORIA”
PHANTASMAGORIAは当時のインタラクティブ作品。発売された1995年当時「第一回AMDアウォード・グランプリ郵政大臣賞」も受賞している。架空の星を旅するだけという癒し系アプリケーションとして未だに人気があるアプリケーション。是非Mac OS Xに移植して欲しい作品(現在はClassic環境が無いと起動出来ない)。

PHANTASMAGORIA_02.jpg

(写真はPHANTASMAGORIAのユウレイの街)

当時はCPUの違いがよく理解出来なかった。Performa 550購入時もCPUを考えずに購入した。もちろんメモリ容量に考えが及ぶ様になるには、ここからさらに3年を要した(冷汗)...

■チャプター”To be continued”
現在のインターネットはTim Berners-Lee氏が1990年に欧州原子核研究機構での研究者同士の情報共有の為にNeXT上で開発したWWW(World Wide Web)が始まりとなる。その後これを見て触発された当時大学生だったMarc Andreessen氏が開発したWebブラウザ”NCSA Mosaic”によって1993年以降爆発的に普及が進み始める。

NCSA-Mosaic.jpg

(写真はPawPrint.networkより拝借)

当時米国のマスコミの騒ぎ様は異常なほどだった。のちにMarc Andreessen氏とSilicon Graphics社を設立したことでも知られるJim Clark氏らがNetscape Communications社を立ち上げ現在の状況に至る。

いや〜〜〜しかし...わたくし人の話を聞かずに一人でしゃべっているねぇ...反省反省(超冷汗)...ちなみに番組ウィンドウに表示される画像下部にあるテキストがリンクになっているのに今回初めて気が付いた(ビックリ)...

参考リンク
Apple Accent-Apple Accent 第8回放送「ゲスト企画 +.k代表さん (前編)」

当Blog-20

アップル-新潟県中越沖地震の被害を受けられましたお客様へ 特別修理サービスのご案内・熊本県梅雨前線に伴う大雨による被害地域の被害を受けられましたお客様へ 特別修理サービスのご案内

アフェリエイト・リンク


Macだからといって部屋を占領されたくないあなたにMacBook(アフェリエイト・リンク)
Apple Store(Japan)

FONでiPod touchのアクセスポイントを増やそう(アフェリエイト・リンク)


最小のスペースで最高のクオリティM2(アフェリエイト・リンク)
M2 コンピューターミュージックモニター

802.11n 非対応Macには11n対応 USB無線LANアダプタ(アフェリエイト・リンク)

Apple Storeで整備済製品をチェック(アフェリエイト・リンク)
Apple Store(Japan)
|